日本を代表する女性ラッパーのAwich(エーウィッチ)さん。
非常にエキゾチックな顔立ちや、ネイティブのような英語の流暢さに、ハーフではないか?
と思う人が多いようです。
今回はAwichさんの両親が日本人であり、父親と母親の職業や、戦争体験を通して
Awichさんに与えている影響についてまとめてみました!
Awichがハーフはデマで日本人!
Awichさんの両親(父親・母親)は日本人のためハーフではありません。
Awichさんは沖縄出身でエキゾチックな見た目からハーフではないかと思う人も多いようですが、
本名は浦崎亜希子さんで、父親と母親も沖縄出身の日本人です。
以下に詳しくみていきましょう。
父親は教師で熱血テニスコーチ
Awichさんの父親は直行さんです。
- 名前:浦崎直行(うらさき なおゆき)
- 生年月日:1941年生まれ
- 年齢:84歳(2025年1月現在)
- 職業:高校教師
- 指導歴:テニスコーチ
父親の直行さんは、教師でテニスのコーチをしていました。
職業は教師で、Awichさんいわくテニスの熱血コーチだそうです。
「新入部員はボール拾いしに来たんじゃない。テニスをさせないといかんのだ。」父、明後日で71歳。 http://t.co/QXv3jI0Z— Awich (@Awich098) December 6, 2012
素晴らしい熱血コーチですね。
家に8人の男子生徒が下宿していたこともあるそうで非常に賑やかだったそうです。
下宿をしていたということから、高校の教師であると推測されます。
沖縄戦を生き抜いた父親
直行さんは真珠湾攻撃の翌日にパラオで生まれ、2歳の時に沖縄に戻りました。
沖縄本島の那覇の街並みが9割焼失したと言われる沖縄戦を体験し、
非常に苦労されながら、生き抜いてこられました。
素麺を1日1本食べる生活だったそうで、素麺を見ると涙を流すこともあったとか、、
Awichさんには結婚して就職して普通の幸せを手にしてほしいと願っていたそうです。
『口答えするな!』という感じで。もう、超体育会系なんで、、
戦後の食べ物さえろくに得られない時代を知るお父様だからこそ願う、普通の幸せなのでしょうね。
でも頭が硬いわけではなく、Awichさんが高校生の時は、
アメリカで勉強することを応援し、留学の費用も援助してくれていますよ!
Awichさんは両親に愛情を注がれてしっかり育っていかれたのが伝わりますね。
Awichさんを救った言葉
Awichさんが夫を銃撃で亡くしたショックで、長期間、無気力に陥っている際に救ってくれたのは直行さんの言葉だったそうです。
「ウチナーンチュ(沖縄の人)は全員そうだからな。戦争で大事な人や家族を失ったんだ。お前1人だけじゃない」
この言葉でAwichさんは「厳しい時代を生き抜いた先人たちと同じ力が自分にもあるはず」と気づき、音楽活動を再開したそうです。
沖縄人のスピリットの深さに涙が溢れそうになりますね。
沖縄がAwichさんの音楽の原点であり、悲しみや絶望があっても支え続けてくれるものなのですね。
母親は料理上手で手先が器用
Awichさんのお母さんは米子さんです。
- 名前:浦崎米子
- 生年月日:1949年生まれ
- 年齢:76歳(2025年1月現在)
- 趣味特技:手先が器用、絵を描く、読書
- 『Cafe Cipher 彩場サイファー』で手料理を提供していた
手先が器用で絵を描くことや読書することが好きな米子さん。
Awichさんがプロデュースするレストラン『Cafe Cipher 彩場サイファー』で料理を提供していた経験があります。
那覇市識名の閑静な住宅街の中にある隠れ家カフェで、非常に丁寧な沖縄料理を提供していました。

琉球の器を使って、ミヌダルやどぅる天などの伝統料理や、沖縄の素材を使った創作料理を提供していました。
こんな素晴らしい手料理を食べて育ったAwichさんが本当に愛されていますね!
墜落事故の生存者だった
母の米子さんは、1959年の米軍機が小学校に墜落した「宮森小学校ジェット機墜落事故」の生存者です。
米軍嘉手納基地の戦闘機が突然火を噴いて操縦不能となり、宮森小学校近くの住宅地に墜落した。機体は宮森小学校に突っ込み、死者18人、重軽傷者210人を出す大惨事となった
当時米子さんは宮森小の4年生でした。
Awhichさんについて以下のように語っています。
「沖縄戦を生き残った祖父や父がいて、こうして宮森の事故でも生き残った人がいる。だからこそ自分がいるというのは感じていると思う」
米子さんや、娘のAwichさんは、生かされているという意味を身をもって感じているのでしょう。
Awhichの名前の由来は米子さん
「亜希子」というAwichさんの本名は、米子さんが名付けました。
「アジア大陸のように大きな希望を持つ娘に育ってほしい」という希望を込めたそうです。
「Awich」はそれを直訳したAsian Wish Childを略した造語だそうです。
Awichさんも以下のように語っています。
沖縄で育てられた心が私を世界の人とつないでくれるって実感しています。この島で偉大な先輩たちが紡いできた歌を受け継いで、私の言葉を加えて、そして歌うことが成長につながっています。これから世界に挑戦する際も、琉球の心が世界に連れて行ってくれると信じています。
Awichさんの名前には、沖縄の人の魂の願いがこもっていますね。
今後も楽曲や活動を通して沖縄の魂を伝えて活躍されることを応援しております。
まとめ
戦後の苦労をものすごくしてこられたご両親の愛をしっかりと受け継いでいるAwichさんが素敵です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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